道具への愛着心

 今日もまた会社にいる。正確に言うと、今日の朝6時半まで会社にいて、一旦帰宅、二時間ほど眠った後に息子であるコウを風呂に入れ、母方の祖母が来ていると言うので実家で食事(お年玉もらっちった、エヘ)、所用で秋葉原へ行き、会社へ戻った。
 眠いっす。(-_-)
 こんなもん書いてる場合じゃないのは重々承知ではあるが、眠くてどうにも頭が回らないので、少しばかり思ったことを吐き出してみる。
 本題はその、秋葉原での所用について。

 産まれて初めて所有したパソコン、PowerMacintosh7200/90を、俺は手放した。

 PowerMacintosh7200/90は、俺が大学4年生の時、エリザベス女王杯でサクラキャンドルが万馬券を演出したのを機に、そこで何故か(何故かじゃねーよ)発生した利益を元手に購入したものだ。
 本体、15インチディスプレイ、キーボード、マウス(当時は今みたいにオールインワンじゃなかったのよ)。占めて25万円ほどの買い物だった。
 とにかく嬉しくてさ。何に使ったっけな、あまり覚えていないけど。ほとんどゲームしかしてなかったような気もするが。ただ、自分だけのパソコンを手に入れたというだけで満足だったな。
 その後、プリンタを購入し、モデムを購入し(自分の部屋に電話線来てないからPHSで繋いでたね、DDI、今考えるとすげー)、タブレットを購入し、その他諸々購入し、少しずつだけど世界を広げていったね。初めてホームページなるものを公開したのもこいつからだったな。
 結婚してからもしばらくは現役だったんだけど、電源ユニットが逝ってしまうなどの事故が発生。修理したもののもう限界だろうと、かみさんであるタカにお願いして購入したiMacDVSE(Summer 2000)にメインを譲り、第一線を退いた。
 でも、Linuxをインストールしたりすれば未だ使えるんじゃないかって、ずっと大事に(でもないけど)飾ってあったのね(飾るなっつーの)。結局いじくる暇なく、家でMac使うといえばネットサーフィンかメールが主だからiMac一台で事足りるし、会社から持ってきたWindowsのノートPC(PentiumIII500MHz)のが遥かに速いし、全くといっていいほどパワーキーが押されることは無かった(キーボードに電源ボタンがあんのよ、なんかそれってMacの象徴みたいに思ってたからそうじゃなくなった時に「はぁ?」とか思った覚えが)。
 で昨年末、タカから「古いMac要るの?」と切り出されて。「要らない。」と即答した。自分でも素っ気無くてちょっとビックリした。

 こうしておそらく、周辺機器含めて30万以上は投資したはずの思い出のたくさん詰まった機械たちは、その100分の1ほどのお金と引き換えに引き取られていった。もう6〜8年ほど前のもの達だからして、そんなもんなんだろうけれど。特に、感慨といった感情も何も、湧いてくるものは一切無かった(こんな文章書いてる時点で何かあるのかもしれないが)。

 他の人はどうなんだろう、と思う。どうやら俺は、あまり道具に愛着というものを持たない人間らしい。新しいPalmを購入した時も前のマシンを机の上にいつまでも出しっ放しにしていたり車を買い替えた時にだって涙が込み上げるなんてことはさっぱり無かった。まぁ、「道具は使ってなんぼ」と言ってはばからない俺だからして、あくまでも道具は道具と割り切っているだけなのかもしれないけれど。

 少しだけ、ほんの少しだけ、自分には何かが足りないような気がするんだよね。気のせいかもしれないけどさ。